F1パイロット



2009年7月25日更新

先だって、『子育てプレイ&MORE』を見ていて、思わずジル・ビルニューブに思いを馳せてしまいました。
彼以外で、好きなF1パイロットと言えば、僕の場合、アイルトン・セナ、ロニー・ピーターソン、ミカ・ハッキネンになります。
(最近では、ルイス・ハミルトンやセバスチャン・ベッテルが良いかな?)


いずれも勇猛果敢。
恐れを知らぬスピードレーサー達です。


どうも僕の好きなタイプは、ヨーロッパ正統のF1レーサーではない様です。
従って同時代の選手でも帝王ミハエル・シューマッハや、プロフェッサー アラン・プロストではありません。
彼らの場合、ミスを最小限に抑え、冷静に、決してあせらず、しぶといレースをしているのが、自分の走り方に似ているからかもしれません。


ロニー・ピーターソンは1970〜1978年、アイルトン・セナは1984〜1994年、ミカ・ハッキネンが1991〜2001年にそれぞれF1で活躍しました。
(ちなみにジル・ビルニューブは1977〜1982年F1で活躍。)
この3人はいずれもチーム・ロータスに籍を置いた時期があり、またミカ以外はいずれも故人です。



どうして彼らが好きなのか。



F1が好きな人なら解かって貰えると信じていますが、彼らの信じられないドライビングテクニックに魅了されるのです。


帝王シューマッハや、プロフェッサー プロストはもちろん速いドライバーです。
それもとんでもない速さの持ち主である事は頭の中では判っているのですが、僕にとって魂を揺さぶるタイプのドライバーではないのです。
おそらくそれは、彼らがF1が育ったヨーロッパ主要国の出身で無い事に、影響されているのかも知れません。



彼らのプロフィールを紹介すると、


ロニー・ピーターソン

スウェーデン出身。
1970年マーチよりF1デビュー。
しばしば驚異的な速さを見せ付ける豪快なドリフト走行を披露し、サイドウェイ・ロニーの異名をとりました。
なかなか優勝には届きませんでしたが、1973年に移籍したチーム・ロータスでロータス72を駆って初優勝。
以後、ロータス72はサイドウェイ・ロニーの代名詞になりました。
1976年シーズン初頭までチーム・ロータスに在籍しますが、ロータスはマシン開発に失敗し、遂にタイプ77の出来の悪さにしびれを切らしたロニーは電撃移籍しマーチに復帰します。
同年、イタリアGPでマーチ761を駆って優勝。
翌1977年ティレルに移籍。そして1978年にはナンバー2待遇を受け入れた上でロータスに返り咲きしました。
この年、チームメイトのマリオ・アンドレッティとチャンピオン争いを繰り広げます。
しばしばエース・ドライバーのマリオよりも速かったにもかかわらず、忠実にチームオーダーに従い、しばしば2位に甘んじました。
そしてイタリアGPで、スチュワードのミスによるスタート時の混乱に巻き込まれ、マシンは接触炎上、両脚骨折の事故に遭い、その後の不適切な治療処置の為、敗血症を起こし、翌日死亡しました。
享年34。



アイルトン・セナ。

ブラジル出身。
1984年トールマンよりF1デビュー。
豪雨のモナコGPで脅威の走りを披露し、1位を走るプロストを追い回し、その結果、プロストの優勝が危ういと考えた審判がレース半ばでチェッカーフラッグを振ってしまい、彼の優勝とはなりませんでした。
(この年のチャンピオンはニキ・ラウダですが、プロストは0.5ポイント差で涙を呑みました。もし、このモナコGPでハーフポイントではない2位であれば、彼はこの年チャンピオンになっていました。)
翌1985年、チーム・ロータスに移籍。大雨のポルトガルGPで初優勝。
1988年、マクラーレン・ホンダに移籍。1988年、1990年、1991年とワールド・チャンピオン。
モナコでは絶対的な速さを誇り、1987年、1989年、1990年、1991年、1992年、1993年と6回優勝は歴代最高。
これ以外にも1984年、1988年にはもう少しのところで優勝を逃しています。
予選の速さ、雨のレースの速さでは比類なく、特に難しいコンディションの中で天才的な走りを披露しました。
圧倒的な性能差があると言われていたプロストの乗るウィリアムズを雨の中抜き去った1993年のドニントンパークでのレースは今も伝説として語り継がれます。
1994年サンマリノGPでステアリングシャフト破損事故の為、マシンコントロールを失い、タンブレロ・コーナーに激突し、死亡。
享年34。



ミカ・ハッキネン

フィンランド出身。
1991年ロータスよりF1デビュー。
メイン・スポンサーを失い、低迷の中にあったロータスを救った救世主と言えます。
1993年マクラーレンに移籍しますが、契約の関係でレース出場はなかなか果たせませんでした。
ところが、マイケル・アンドレッティが抜け、出場したポルトガルGPの予選で、いきなりエースのアイルトン・セナを上回るタイムをたたき出し、レース関係者を慌てさせました。
その後、マクラーレンのマシン開発の失敗もあり、なかなか優勝出来ませんでしたが、1997年最終戦で初優勝。
翌1998年、1999年と連続チャンピオンに輝いています。
1990年にマカオF3グランプリで争ったミハエル・シューマッハとのバトルは実に見ごたえのあるものでした。


僕は1998年に初めてパソコンを手に入れたのですが、その後パソコンを増やすにあたり、LAN接続の関係で名前を着けたのですが、最初のパソコンは当時チャンピオンになったミカ・ハッキネンを記念して、Mikaと名づけました。
そして2台目のパソコンにはRonnie、3台目のパソコンはAyrtonと命名し、以後パワーアップさせながら現在に至っています。
(現在、Mikaは休眠中。)

それぞれのパソコン用に壁紙を作り、アイコンまで作っていました。

自作の壁紙
名前の文字に彼らのヘルメットカラーをあしらっているのが自慢です。

ロニー・ピーターソン



アイルトン・セナ



ミカ・ハッキネン



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